2015年07月26日

緩和ケア4カ月

今年3月23日に、「ガンの積極的治療中止」の宣告があってから4カ月になる。ほぼ、3カ月目の6月19日に、緩和ケア病棟に入院した。緩和ケア病棟の生活は、ほぼ1カ月になる。

緩和ケア病棟初日に、発熱40度になり、病院側を驚かせた。その後、1カ月は発熱、痛みコントロールがうまくいっていた。1か月たって2日間、40度の発熱が続いた。

体の動き(ADL)の低下も著しく生活そのものに不自由を感じている。トイレへは、看護師さんに付き添ってもらっている。足のむくみ、お腹周りのむくみがひどい。寝たきりではないが、風呂のほかは部屋からはほとんど出ていない。部屋では、ベッドの周り1mしか移動できない。カーテンの開け閉めにもナースコールを必要とする。情けなくなることがある。

発熱しないように氷枕が欠かせない。夜、眠りが浅い。食欲はある。痛みはない。

7月も終わり近い。暑さ知らずで夏を超えそうだ。戦争法案が衆議院で可決され、参議院に送付された。戦争法案反対の大きなうねりで廃案、阿部内閣倒閣にできないものか。私のできることは反対の署名をすることだ。望まぬ戦争への道を開く内閣はお断りだ。私の人生の最後に、こんなひどい時代が来ようとは思いもしなかった。
posted by tamatama at 17:45|  緩和ケア 1ケ月〜

2015年07月16日

ガン緩和病棟での疼痛管理 その2


(1015年6月19日より緩和ケア病棟へ入院中)

私の痛みは、1)腰椎、胸椎への腫瘍転移による脊柱管圧迫による両足太ももの痛み。2)転移腫瘍による各部の痛み、があった。1)は、放射線照射によって痛みはなくなった。2)は、現在、ワンデュロパッチ1.7mg毎日1枚取り替えと、カロナール300×8錠をベースとし、レスキューは オキノーム散2.5mg×2苞で対応している。

第3の痛みは、第6頸椎への転移腫瘍による脊柱管圧迫による神経障害性疼痛である。左手の親指あたりから肩口にかけてズキズキとした痛みがあって、入院した1ケ月前からひどくなってきた。

対応)眠れないほど痛みが強いときにオキノームを数回飲んだが、あまり効かなかった。現在は、リリカ75mgを朝夕2回服用している。眠れないほどの痛みはなくなった。しかし。親指とそれにつながる腕の筋肉に鈍痛が少し残っている。もう少し、リリカ服用で様子を見てみる。リリカは眠気の副作用がある。

左手の鈍痛がなくなると、気分は最高。早く収まって欲しい。
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(2015年7月17日 追記)

朝から、左手親指から前腕上部、上腕上部、肩口にかけて不快なズキズキとした痛みが続いた。一時、オキノームを飲もうかと思うほど痛くなったが、30分程で軽快し、また元の不快なズキズキ痛みに戻った。主治医が来て、オキノーム服用を勧めたのでそれに従いオキノーム散2.5mg×2苞服用した。左手痛みがなくなった。また、リリカは現在の75mg×2から、100mg×2に増量することとなった。

現在17日11時、左手のズキズキした痛みを全く意識しなくなり快適な気分だ。

14時から、音楽療法士の資格を持つボランティアさんによる音楽コンサートがあった。ピアノ伴奏によるフルート演奏で45分があっという間に過ぎた。今日は、心をゆるめて聞いたので、「ムーンリバー」の演奏で感極まり落涙。多感な中学時代のさまざまなことがその時の気分とともに心の中にあふれてきた。現実には、私は病気を抱え緩和ケア病棟で車いすでコンサートを聴いている。もう一度、山歩きをする元気な姿に戻りたい。
posted by tamatama at 11:26|  緩和ケア 1ケ月〜

2015年07月11日

ガン緩和病棟での疼痛管理

(1015年6月19日より緩和ケア病棟へ入院中)

2015年1月より、鎮痛剤として
 トラマールカプセル25mg×6錠=150mg
 カロナール300     ×8錠=2400mg
毎食後+眠前に服用してきた。
 レスキューは オキノーム散2.5mg×1苞⇒効く
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2015年7月9日までの数日、耐え難い内蔵痛みあって、鎮痛剤のレベルアップを図る。

 オキシコドン 3錠 8:00と20:00に定期投与
 カロナール300   8錠 毎食後+眠前
 レスキューは オキノーム散2.5×2苞⇒よく効く
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オキシコドンに換えたことで、夜眠れなくなった。不安な気分と、希死念慮。今は落ち着いているが、頭痛が始まると、余命2週間が頭に浮かぶ。まずいと思う。ガン疼痛管理は、生半可なことではうまくいかない。

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オキシコドンを9日10:00、10日20:00服用して寝たが。その晩不安感がひどく寝られなかった。
翌朝。主治医と相談をして、ワンデュロパッチ1.7gに切り替えた。痛み軽減、発熱防止、不安解消、睡眠確保の方策は素早く、きめ細かい。
夜、10:00、15:30 エチゾラム服用⇒2時間半ぐっすり眠れる。(2015年7月12日追記)
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終末期は、家族のサポートが(特に)必要である。耐え難い痛みの中で空(くう)に向かって手を伸ばしたそこに、家族の手のぬくもりがあるのとないのとでは全く違う。家族として暮らした数十年の歴史と、その中で培われた信頼が、痛みを抑え、不安を軽減する。
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家族のぬくもりが最後の頼み。娘が同室で泊まれるようにお願いした。この緩和ケア病棟には全20室のうち、和室は2室しかない。ちょうど空きができて、週明けには入れそうだ。病院の素早い対応に感謝している(2015年7月12日追記)
posted by tamatama at 05:12|  緩和ケア 1ケ月〜

2015年07月06日

ヘモグロビン4.8、アルブミン1.8の生活

2015年6月19日、緩和ケア病棟に入院して2週間たった。夜の眠りは浅い。

不自由だ。2L毎分の酸素吸引をカニューラでしているのでおおむね行動範囲は部屋の中に限られている。1m横のトイレに行けても立ち上がれず一人では帰れないことがある。

幸い、痛いところはない。食欲は普通にあり、おいしく頂いている。あっさり気味の病院食の味付けは私にあっている。間食(せんべい類)も、よくする。たくさんの人に支えられ。不自由だがまずまずの生活が送れている。

両隣りは、どちらも寝たきりの方のようだ。家族の訪問は多い。時々、「私は、どうしてここにいるのだろうか」と不思議な気持ちになることがある。ヘモグロビン4.8(2015年7月2日測定)でも、私は生きている。輸血の話は出ない。人間の生命力はすごい。
posted by tamatama at 01:52|  緩和ケア 1ケ月〜

2015年06月28日

余命100日

(不安の原因)

大きな不安に襲われる原因を考えてみた。これまでは、延命治療を行う中での不安であったが、今の不安はステージが異なり、全体を押し潰してくるような不安であってその原因がわからない。

原因がわからないのは、私の余命がはっきりしないことであろうと考え、主治医にあとどのくらい生きられるかを聞いた。誰にも分らないことではあるが、今のあなたの病状から考えると月単位あろうとのことであった。私の想像通りで、夏を超えられますかとの問いには返事がなく、年を超えられますかとの問いには、無理であろうとのことであった。

(余命は100日)

全体の話から、あと3カ月、100日が私の残された余命であろうと思われる。本当のところは誰にも分らない。2週間かもしれないし、ひょっとすると1年持つかもしれない。病状の医学的な進行具合からたくさんの終末期患者を診てきた主治医の見立てが、余命100日ということだ。

(どう受け止めるか)

この見立てを私が、どう受け取め、この後どう過ごすかは私の問題である。

あまり重く考えないでおこう。13年のガンとの共存の日々でこういう日が来ることは予想していた。残りの日々を、充実したものにしようと考えるのは重荷でしかない。たくさんの人が私の残りの日々を安心なものにするよう手立てを尽くしてくれている。そのサポートの乗って残りの日々をゆったりと過ごしてゆきたい。
posted by tamatama at 19:39| 腎ガン(病状・服薬記録)